ここは春日山城の大広間。
そこに佇む上杉勘太郎。
その目線の先には
あ、この人なのね。
どうやら、勘太郎が目付けに昇進するらしい
との情報を聞きつけた僕は先回りして待っていた次第。
もし来なかったり、抜かれたりしてたらどうしよう、と怯えてましたよ、はい。
結果的には無事に間に合い目付け昇進の沙汰を下した。
よろしいですね?謙信公
まぁ、めでたい話である。おめでとう!
話は思い切り さかのぼる
真田奨忠 :本陣見てきてごらん
真田奨忠 :わしが何をあそこまで焦って追加しようとしてたのか わかるぜ
小池くん :行ってあげよう
その日は、そんなツッキーの一言で始まった。
本陣とは、電波党の集会などに供されることになっているツッキー自慢の屋敷である。
真田奨忠 :雪見しながらの茶会もいいだろう?
真田奨忠 :入口は宴会場からだ(’’
そこは彼の言うとおり、広がる雪原とそこに突き出た桟橋、茶の湯スペースが構築されていた。
いかにも凝り性の彼らしいと言えるスペースである。
西九条蓮華 :隙間にはまりました…
小池くん :どうやったら 入れるのか
小池くん :入れた
そう、西九条蓮華は、この頃に電波党に合流。
「肉市場 と呼ばれていたことがある」と自爆しちゃった人。
ニックネームはそれに敬意を表して「肉」
基本的にヒマで、ゆったりプレイするタイプのようだ。
僕もそんな系統だ。
いまだにレベルは低いままで、後輩たちにも次々と抜かれている。
それでも党首と呼ばれている。
こんな人が党首でいいのだろうか、と南南東の空をにらみながら無言で恵方巻きにむしゃぶりつくのだ。
というわけで
夫婦水入らずで板風呂に浸かってみる。
そんな全景はこんな感じ。
雪原にしつらえられた茶室の雰囲気がわかってもらえるだろうか。
以前にも述べたが、茶の湯とは風雅の道である。
室町時代においては、飲んだ水の産地を当てる闘水という遊戯から、闘茶という、飲んだ茶の銘柄を当てる一種の博打が流行した。また、本場中国の茶器「唐物」がもてはやされ、大金を使って蒐集し、これを使用して盛大な茶会を催すことが大名の間で流行した(これを「唐物数寄」と呼ぶ)。
これに対し、村田珠光が茶会での博打や飲酒を禁止し、亭主と客との精神交流を重視する茶会のあり方を説いた。これがわび茶の源流と成っていく。
わび茶はその後、堺の町衆である武野紹鴎、その弟子の千利休によって安土桃山時代に完成されるに至った。
~出典 wikipediaより~
つまり、客と対しつつ、己の精神世界と向き合い心の平安を求めるのが茶である。
そう、精神の安らぎを見出すのが茶
たしかに平安になれた気がした。
小池くん :俺の股間の龍が炸裂するぜ! by 玉枝
千本桜由乃 :いきなりなにを^^;
真田奨忠 :正直今のは引くw
西九条蓮華 :いつものこと なのですか…?
小池くん :この驚きを分かち合いたい と思って
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